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東京高等裁判所 平成4年(ネ)1458号 判決

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位、被控訴人荒木関宣位、被控訴人清本季位は、控訴人に対し、別紙物件目録四記載の建物を明渡し、かつ、昭和六二年七月一五日から右明渡ずみまで各自一か月金四万円の割合による金員を支払え。

三  控訴人の被控訴人らに対するその余の請求を棄却する。

四  被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位の控訴人に対する主位的請求を棄却する。

五  控訴人は、被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位各自に対し、別紙物件目録四記載の建物を収去して同目録三記載の土地を明渡し、かつ、平成三年一一月一六日から右明渡ずみまで一か月金一万円の割合による金員を支払え。

六  控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位の控訴人に対するその余の予備的請求を棄却する。

七  訴訟費用は、第一、二審及び甲乙事件を通じこれを二分し、その一を控訴人の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。

理由

第一  請求

一  控訴人の請求(一四五八号事件)

1  乙事件についての原判決を取り消す。

2  被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位、被控訴人荒木関宣位、被控訴人清本季位は、控訴人に対し、別紙物件目録四記載の建物を明渡し、かつ、昭和六二年七月一五日から右明渡ずみまで一か月金一五万円の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位の請求(一四二九号事件)

1  甲事件についての原判決を取り消す。

2  原審からの主位的請求

控訴人は、被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位に対し、別紙物件目録一記載の建物を収去して同目録三記載の土地を明渡し、かつ、昭和五四年四月一日から右明渡ずみまで一か月金一万円の割合による金員を支払え。

3  当審で追加した予備的請求

控訴人は、被控訴人干場和位、被控訴人清本幸位、被控訴人小池佳位に対し、別紙物件目録四記載の建物を収去して同目録三記載の土地を明渡し、かつ、昭和五四年四月一日から右明渡済みまで一か月金一万円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。

5  右2、3項の金員支払請求につき仮執行宣言

第二  事案の概要《略》

第三  争点に対する判断

一  当裁判所の認定事実

前記当事者間に争いがない事実に加え、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる(なお、争いのない事実についても、便宜、該当する書証を摘示した。)。

1  控訴人の母はなは、昭和一四年頃、岩田から本件土地を含む三〇〇坪の土地を賃借し、その所有する本件一建物(明治年間に建築)を人に貸していたが、その後、右建物を泰夏が使用するようになつたことから、昭和二九年四月一日、泰夏との間に以下の約定で賃貸借契約(本件建物賃貸借契約)を締結し、その後、右契約は順次更新されていつた。

<1> 期間 五年間

<2> 賃料 一か月一五〇〇円、毎月末日限り翌月分を持参払い(その後増額され、昭和五三年五月からは一か月一万六〇〇〇円となり、現在は右金額を供託中である。)

<3> 特約

イ 賃借人は、賃料の支払を延滞したとき又は本契約に違背したときは何らの通知催告を要せず直ちに本契約を解除されても異議なく直ちに本件一建物を明渡し返還する。

ロ 賃貸人は、賃借人が敷地内に約三坪の物置を建築することを承諾し、賃借人が本件一建物を明渡す際は、無償でこれを賃貸人に譲渡する。

2  はなは、昭和三七年二月六日、前記借地の一部を返還し、本件土地を含む北区滝野川六丁目六一番所在の宅地二二〇・一三坪(約七二六・四三平方メートル、以下「本件借地」という。)について、岩田と次の約定で賃貸借契約(本件土地賃貸借契約)を締結した。

<1> 期間 昭和三六年八月二〇日から昭和五六年八月一九日までの二〇年間

<2> 賃料 一か月九九八八円、毎月末日限り翌月分持参払い

3  はなは、昭和四九年三月二七日死亡し、控訴人が相続により本件土地の借地権及び本件一建物の所有権を取得し、本件土地賃貸借契約の賃借人の地位及び本件建物賃貸借契約の賃貸人の地位をそれぞれ承継した。また、本件借地中の他の部分については、控訴人の兄弟五人がその借地権及び地上建物の所有権を取得した。右各借地の範囲は、概ね別紙現況実測図面(以下「別紙図面」という。)のとおりであり、同図面のA部分を金山秀雄が、B部分を住川トミ子が、C部分を金山照夫が、D及びF部分を金山幸雄が、E及びG部分を控訴人が(E部分が本件土地)、同図面に表示されていない左側の約六〇坪の借地を金山英一が、それぞれ取得した。

4  その後、控訴人及びその兄弟らは、本件借地上の建物が老朽化してきたことから、これを改築しようとしたところ、岩田は、昭和四三年に生じたはなとの間の紛争の際、はな所有の建物の増改築を認める趣旨の覚書を取り交わしていたにもかかわらず、右改築工事を妨害しようとしてきたため、控訴人は、岩田を相手どつて建築工事妨害禁止の仮処分(東京地方裁判所昭和五〇年ヨ第三八三〇号事件)を申請し、同事件について、昭和五〇年八月二五日、控訴人らが岩田に対し一二〇万円を支払い、岩田は、控訴人ら各借地人が昭和六〇年八月末日までに各借地上に建物を新築し、あるいは借地上の既存建物の増改築をすることを承認する旨の裁判上の和解が成立した。

5  右和解後、控訴人は、本件一建物を新築し、改めてこれを泰夏に賃貸しようと考え、泰夏の仕事(種苗の製袋業)のための作業所も建築するなどとして、再入居を前提に新築についての協力を求めたが、泰夏は、家賃が高くなるとして、その話を断り、結局折り合いがつかなかつたため、控訴人は、昭和五三年六月二九日、泰夏を相手方として、本件一建物の老朽化及び建替えの必要性等を理由にその明渡を求める調停を東京北簡易裁判所に申立てた。右調停は、同年九月七日、同年一〇月一七日、同年一一月一六日と三回にわたつて、泰夏の側は泰夏本人、控訴人の側は、控訴人本人及びその代理人である鳥生弁護士が出席して調停期日が開かれた。右調停期日において、鳥生弁護士は、前記和解調書を泰夏及び調停委員らに示し、控訴人は、本件一建物の改築について地主である岩田の承諾を得ている旨を説明したところ、泰夏は、右和解調書を見て驚いた様子であつたが、明渡の要求に対しては、出る資力がないとか、種袋の製造を止める訳にはいかない等としてこれに応じなかつた。そのため、控訴人は、そのまま賃貸借契約を継続するかわりに家賃を値上げするという代替案を提案したが、泰夏はこれにも応じようとせず、調停は不調となつたが、その頃から、泰夏は、本件土地を買つた旨を言い出した。

6  右調停が不調となつたため、控訴人は、昭和五四年に入り、泰夏を被告として、建物が朽廃したこと、あるいは建替えの必要性等による正当事由の存在を理由に東京北簡易裁判所に本件一建物の明渡請求訴訟(同裁判所昭和五四年ハ第四八号事件、以下「別件訴訟」という。)を提起したが、右建物は、未だ朽廃しておらず、正当事由も認めがたいとして、昭和五六年一月、請求が棄却され、右判決はそのまま確定した。右訴訟において、泰夏は、本件土地を岩田から購入した旨主張し、これに対して控訴人の訴訟代理人の鳥生弁護士は、泰夏の訴訟代理人の田山弁護士に、再三、売買契約書あるいは手付けの領収書等の提出を要求したが、それらは提出されず、結局、登記簿謄本が出されただけであつた。なお、泰夏は、その間、昭和五五年一二月二〇日付の内容証明郵便で、田山弁護士を代理人として控訴人に対し、本件土地の賃貸借契約は昭和五六年八月一九日で満了するところ、本件一建物は、老朽化しており、住居兼工場を新築する必要があるとして、右契約の更新拒絶の意思表示をした。

7  本件土地の登記簿謄本によれば、本件土地は、昭和五三年一一月二〇日の売買を原因として、同日付で岩田から泰夏、被控訴人干場和位(旧姓清本)、同清本幸位、同小池佳位(旧姓清本)の共有(持分は泰夏が六分の三、その余の被控訴人はいずれも六分の一)に所有権移転登記がされている。また、本訴で提出された本件土地の売買契約書及び領収証によれば、売買の日付は同年九月一五日であり、その代金額は、三一六万一六〇〇円(坪当たり一三万円、なお、本件土地の登記簿上の面積は二四・三六坪であるが、右売買契約書の記載に従い二四・三二坪として計算した。以下同じ。)であつて、契約日に手付金一〇〇万円が授受され、残金は同月三〇日に決済されたこととなつているが、他方、右一〇〇万円が同年七月二七日に支払われたとの領収証(甲二八)も存在する。なお、泰夏は、昭和五五年九月一九日に別件訴訟で本人として尋問された際には、本件土地の代金額は六〇八万円位(坪当たり二五万円)であり、その代金は、八千代信用金庫から三〇〇万円を借り入れ、残りは娘たちと共同で出した旨供述している。

8  本件一建物はもともと二戸一棟の建物であるが、もう一棟の建物の賃借人である惠坂和男(以下「惠坂」という。)も、泰夏とほぼ同時期にその建物の底地(別紙図面のD部分、二四・六六坪)を岩田から買い受けている。その土地売買契約書によれば、その売買の日付は同年八月一五日であり、代金は四一九万二二〇〇円(坪当たり一七万円)であつて、売買当日に内金一〇〇万円が授受され、残代金は昭和五四年六月末日までに支払うこととされており、右代金についての同月一九日付の受領証も存在するが、他方、それとは別個に、岩田から惠坂宛の昭和五三年九月二五日付の二〇〇万円の領収証、同年一二月一四日付の三〇〇万円の領収証、昭和五四年六月一六日付の二三九万八〇〇〇円の領収証も存在し、右三通の領収証の合計金額は七三九万八〇〇〇円(坪当たり三〇万円)となる。

9  前記のように、はなと岩田との間、また、控訴人ら兄弟と岩田との間に紛争があつたこともあり、本件土地を含む本件借地についての地代は昭和四八年頃以降、ずつと供託されていた。その昭和四八年七月から昭和五七年七月までの供託状況(いずれも二か月分をまとめて供託)は別紙供託金目録記載のとおりであり、その供託者ははなあるいは金山英一らであつて、その被供託者は岩田である。なお、途中、供託金額が減少しているのは、金山幸雄、金山照夫らがその借地を売却したり、岩田との話し合いで一括供託をやめたりしたなどの事情によるものであり、控訴人の供託額については途中増加はあつても減少はない。なお、昭和四八年七月から昭和四九年三月までの供託金額五万三一三〇円は、坪当たり一か月一二〇円(円未満切り捨て、以下同じ。)であり、はなと岩田との昭和三七年二月の賃貸借契約の月額賃料が坪当たり四五円であつたのと比べると、三倍近い額となつている。また、金山英一は、昭和五七年一二月に、岩田宛に同年九月分及び一〇月分の地代合計八万〇七一〇円を供託しているが、このころの本件借地の借地面積は、約四九八平方メートル(一五〇・九坪)であり、その月額賃料は坪当たり二六七円となる。

10  その後、昭和五八年九月、控訴人は、泰夏及び被控訴人干場和位らに内容証明を出し、本件土地を岩田から泰夏らが買つたことや、地代支払についての通知がなかつたため、昭和五八年六月分までは、岩田宛に月六〇〇円の使用料を他の兄弟の分と合わせて一括供託してきたが、同年七月分からは、兄弟各自が別々に供託することになつたため、今後は、本件土地の使用料を新地主たる泰夏らに直接支払う旨を通知するとともに、同月二八日、同年七月分及び八月分の賃料一二〇〇円を泰夏宛に供託し、以後、昭和六三年六月分まで、一か月六〇〇円の割合による賃料の供託を続けた。右賃料は、その後、同年七月分以降は、一か月六〇〇〇円となつて供託が続いている。

11  控訴人の賃借している本件土地の面積は八〇・四〇平方メートル(二四・三六坪、なお、これは乙四による本件土地の実測面積八〇・三〇平方メートルとほぼ一致する。)であるので、これに昭和三七年当時の本件借地の坪当たりの月額賃料四五円を乗じて、本件土地の当時の右月額賃料を算定すると一〇九六円となり、同様にして昭和四八、四九年当時及び昭和五七年一二月当時の本件土地の坪当たりの月額賃料を乗じて月額賃料を算定すると、それぞれ二九二三円と六五〇四円となる。したがつて、本件土地部分の使用料が六〇〇円であつたという前記控訴人の通知がいかなる根拠に基づくものかは全く不明である。なお、本件土地の昭和六一年の固定資産税及び都市計画税の合計は三万七六一〇円であつた。

12  前記10の控訴人からの通知を受けた泰夏は、田山弁護士を代理人として、遅くとも昭和五八年一〇月二〇日頃控訴人に到達した内容証明郵便で、控訴人に対し、別件訴訟での昭和五四年三月二七日付答弁書で本件土地を泰夏ら四名が買い受けたことを通知するとともに、口頭で地代を建物(月一万六〇〇〇円)と同額に値上げするよう通知したとして、右内容証明到達の日から一週間以内に地代を一か月一万円の割合でさかのぼつて支払うこと、その支払をしないときは本件土地の賃貸借契約を解除する旨通知したが、その後の控訴人の地代の供託状況は前記のとおりであり、昭和六三年六月分まで、一か月六〇〇円の割合の金員を二か月ごとにまとめて供託していた。なお、右内容証明記載の口頭での値上げの通知なるものがいつどこで誰に対しされたかは全く不明であり、そのような通知がされたとは認めがたい。また、泰夏らが、右内容証明を出す以前に、控訴人に対し、地代を請求するとか、その支払を催告したことはない。

13  本件建物賃貸借契約の公正証書では、賃借人が建物の模様替、建増等原状を変更するときは、予め賃貸人の書面による承諾を得なければならないとされていたところ、泰夏は、控訴人から右承諾を得ることなく、昭和六一年八月頃、本件一建物に接して、以前から設置されていた物置(製袋の作業場となつていた。)を取壊し、別紙物件目録二記載の建物(本件二建物)の建築工事に着工したが、工事途中の同年一〇月一七日死亡した。右工事着工の事実を知つた控訴人は、同年一一月頃、新築中の本件二建物と本件一建物との間に鉄板の塀を設置しようとしたが、その後これを撤去し、被控訴人らは本件二建物を完成させた。なお、泰夏らは、右工事を行うに際し、田山弁護士から、本件土地賃貸借契約は既に解除になつたので、泰夏らの側で自由に本件土地を利用できるとのアドバイスを受けたようである。その後、控訴人は、本件二建物の建築が無断増改築に当たるとして、昭和六二年七月一四日までに、被控訴人らに送達された乙事件の訴状で、被控訴人らに対し、本件建物賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

14  本件二建物は、木造亜鉛メッキ鋼板葺二階建の建物で、工事費は約四六五万円であり、その一階部分には土間と風呂場があり、二階部分には寝室と便所があつて、その床面積は、一、二階とも一六・八〇平方メートルである。本件一建物と本件二建物との間には、十数センチメートルの間隔があるけれども、その屋根部分には両建物をつなぐ形で雨樋が設置されているほか、本件一建物の南側と本件二建物の一階土間部分の北側とは、幅約一メートル、長さ約三〇センチメートルの廊下で、仕切なく結合されており、素通しで行き来ができるようになつている。なお、本件二建物には外部から出入りできるドアが設置されているが、これは階段の下の物置をぶちぬいて作つた背の低い入口であり、独立した玄関と呼べるような体裁のものではない。また、台所は本件一建物にだけ、浴室は本件二建物にだけ付いており、現在ここに居住している被控訴人干場らは、右両建物を事実上一体のものとして日常生活に使用している。

15  その後、被控訴人干場ら三名は控訴人に対し、平成三年一一月一五日の原審第三九回口頭弁論期日において、前記昭和五八年一〇月二〇日頃控訴人に到達した内容証明郵便で、賃料を一か月一万円に増額する旨の意思表示をしたにもかかわらず、同年一一月分から昭和六三年六月分までの四年八か月にわたり、一か月六〇〇円という著しく低額の地代しか支払わず、これによつて、被控訴人らと控訴人との信頼関係は破壊されたとして、本件土地賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

二  甲事件についての判断

1  岩田と泰夏及び被控訴人干場ら三名との本件土地売買契約の時期

前記認定事実からすれば、その時期は必ずしもこれを確定しがたいものの、昭和五三年七月二七日から同年一一月二〇日までの間に、泰夏及び被控訴人干場ら三名は、岩田から本件土地を代金六〇八万円(坪当たり二五万円)で買い受けたものと認められる。

もつとも、甲二一の1、2の売買契約書記載の代金額は、三一六万一六〇〇円であるが、惠坂との売買の際も金額の異なる二通りの領収証が作成されていること等からすれば、右代金額は、岩田が税務対策として、実際の代金額よりも圧縮した代金額を記載したものとみる余地が大きく、現実の売買代金額は六〇八万円であると認めるのが相当である。

なお、右売買代金額を前提に考えると、本件の売買契約書の日付である九月一五日が真実の契約日であるか否か疑問があり、右契約の時期は、一〇〇万円についての領収証の日付である同年七月二七日頃である可能性も考えられるが、他方、前記一5認定のような泰夏が本件土地を買い受けたと言い出した時期等からすれば、むしろ、それ以降の同年一一月頃とみる余地もあり、結局、この点は確定しがたいというほかない。

また、右のように、本件土地の売買時期が必ずしも確定しがたいことからすれば、泰夏らがその購入に当たり、本件土地上の建物について、増改築等ができる旨の裁判上の和解が成立していたことを知つていたか否かは必ずしも明らかでないが、仮に、右事実を知つていたとしても、それによつて将来、建物と土地を一体として利用できる可能性が全くなくなるものではないのであるから、右和解が成立していたことを知りながら、その底地(本件土地)を取得しようとしたとしても必ずしも不自然とはいえないと考えられる。その他、泰夏らが別件訴訟において、右売買に関する契約書や領収証等を提出しようとしなかつたことや、昭和五八年一〇月に至るまで控訴人に対し地代を請求したことがなかつたことなどの諸事情を考え合わせても、右売買契約が実体を伴わない仮装のものであるとか、あるいは、別件訴訟の帰趨等をまつて確定的に所有権を取得する等、なんらかの条件付売買契約であつたとみることは困難である。

もつとも、泰夏らが本件土地を取得した昭和五三年七月ないし一一月という時期は、控訴人との間で、本件建物明渡の調停が行われていた時期であり、泰夏がこのような時期にあえて本件土地を取得したのは、それによつて、右調停あるいはその後の訴訟において、控訴人の本件一建物の明渡請求に対抗し、自己の地位を防御しようとの意図もあつたものと推認されるが(右調停は、右建物の老朽化等を理由とするものであつたが、その底地である本件土地を取得しておけば、右建物が朽廃しても、それに伴つて借地権が消滅するのであるから、結局は、その土地を自分が利用できることになる。)、そのこと自体は権利の濫用であるとか、信義則に反するということはできないし、その限度を越えて、泰夏らが岩田と共謀し、控訴人を立ち退かせる目的で本件土地を取得したなど、泰夏らがなんらかの背信的な意図で右売買契約を締結したことを認めるに足る証拠はないのであるから、右のような泰夏らが本件土地を取得した動機も後記のような本件土地賃貸借契約の終了についての判断に影響を及ぼすものではない。

2  更新拒絶について

被控訴人らは、本件土地賃貸借契約の期間は、昭和五六年八月一九日までであつたところ、泰夏は、昭和五八年一〇月二〇日頃控訴人に到達した内容証明郵便で、本件土地の使用継続について異議を述べたものであり、かつ、右異議には正当事由がある旨主張する。

しかし、右異議は、右賃貸借契約の更新時期から二年以上を経てされたものであるところ、本件で、泰夏らにおいて、賃貸借契約の終了時期を知りがたいなどの特段の事情があつたとも認めがたいのであるから、右異議が遅滞なく述べられたものといえないことは明らかであり、右更新拒絶の意思表示は、正当事由の有無について判断するまでもなく効力を生じないというべきである。

3  賃料不払いによる催告解除について

(一) 泰夏が、遅くとも昭和五八年一〇月二〇日頃控訴人に到達した内容証明郵便で、控訴人に対し、別件訴訟での昭和五四年三月二七日付答弁書で本件土地を泰夏ら四名が買い受けたことを通知するとともに、口頭で地代を建物の家賃(月一万六〇〇〇円)と同額に値上げするよう通知したとして、右内容証明到達の日から一週間以内に地代を一か月一万円の割合でさかのぼつて支払うこと、その支払をしないときは賃貸借契約を解除する旨通知したことは前記認定のとおりである。

しかし、前記認定のように、右口頭での地代値上げの通知がされたことを認めるに足る証拠はないのであるから、増額した賃料をさかのぼつて請求できる根拠はないと考えられるが、それはさておいても、右内容証明からはそのさかのぼつて支払を開始すべき時期がいつかは必ずしも明確でないこと、もつとも、右内容証明の記載からすれば、昭和五四年三月当時までさかのぼる趣旨と解せられなくもないが、当時は、控訴人において、泰夏らが岩田から本件土地を買い受けたか否か疑念を持つていた時期であり、かつ、そのような疑念を抱かれてもやむを得ない状況にあつたこと等からすれば、右内容証明は、それ以降の賃料の増額請求としてはともかく、過去の不払い賃料の催告としては、その履行を求める期間、賃料額が不特定であつて、催告の効力を生じないというべきである。

(二) もつとも、賃借人において、賃貸借契約上の信頼関係を著しく破壊するような債務不履行がある場合には、無催告でも契約解除をなしうると解されるので、以下、控訴人に右のような債務不履行があつたか否かについて検討する。

控訴人が、昭和五四年四月以降昭和五八年六月分までの間、金山英一らの名義で、前地主である岩田を相手として、本件借地の賃料の一括供託を続けていたこと、その後、同年七月分及び八月分については、同年九月に月額六〇〇円の割合による賃料を供託したことは前記認定のとおりである。

ところで、建物保護法一条一項の規定により、土地の賃借人がその賃借権をもつて敷地の新所有者に対抗しうる場合、前地主たる賃貸人と賃借人との間の賃貸借関係は、土地の所有権移転登記の時において、法律上当然に新所有者が承継し、この者と賃借人との間に移行するものであり、これと同時に前所有者はこの賃貸借関係から当然離脱し、また、新所有者から賃借人に対して右承継の通知を要するものでもない。

したがつて、右承継後の賃料は、新所有者である新賃貸人に対して支払うべきものであるが、賃借人において、種々の事情から所有権移転に疑問を抱き、過失なくして真実の賃貸人を確知することができない場合には、民法四九四条後段により、債権者となる可能性のある者全員を相手方として賃料を供託すべきであり、これによつて賃借人は賃料支払債務を免がれるというべきである。

(三) 本件土地について岩田から泰夏らに所有権移転登記がされたのは、昭和五三年一一月二〇日であるから、控訴人は、遅くとも同年一二月以降は、泰夏らを相手方として、本件土地の地代を支払うべき義務を負つていたものであるところ、控訴人は、その後も、岩田のみを相手方として、本件借地全体について一括して賃料を供託し続けていたものであるが、右のような供託によつては賃料弁済の効果が生じないことは明らかであり(岩田を権利者とする供託では、供託金の還付を請求する権利は岩田のみが取得するのであるし、この場合、供託通知も、岩田にのみなされ、真実の権利者である泰夏らにおいて、権利行使の余地はない。なお、本件においても、岩田宛に供託された金員は他の借地分と一括して供託されたという事情はあるが、すべて岩田が還付受領している。)、この間については、賃料の支払いはなかつたというべきである。

(四) そこで、右解除の効力について考えるに、右供託が債務弁済の効力を生じないことは前記のとおりであるものの、控訴人と泰夏らの前記認定のような紛争の経緯や、控訴人の側の要求にもかかわらず、本件土地の売買契約書や領収証等、売買契約締結の事実を裏付ける証拠はずつと提出されないままであつたこと、また、控訴人が岩田宛の地代の供託を続けていたにもかかわらず、泰夏の側から抗議されたり、改めて地代を請求されたことも全くなかつたこと等からすれば、控訴人において、従前どおり、岩田宛の供託を続けていたこともあながち無理からぬものがあること、また、当時、泰夏においても、昭和五五年一二月二〇日付の内容証明郵便で、本件土地賃貸借契約の更新拒絶の意思表示をしながら、その際、地代の支払についてはなんらの請求もしないなど、本件土地の新賃貸人として、地代請求等の権利行使をするという意識に乏しかつたとみられること等からすれば、前記の期間中の賃料不払いは、本件土地賃貸借契約の継続を困難ならしめる程、当事者間の信頼関係を著しく破壊するものとはいえず、少なくとも無催告での右賃貸借契約の解除は認められないというべきである。

なお、控訴人が、昭和五八年七月以降、泰夏を権利者としてした一か月六〇〇円の供託は、賃料増額の意思表示に対するものとしては低廉に過ぎるものであることは後記のとおりであるが、そのころは、本件土地の地代増額の意思表示がされていない段階であるうえ、右六〇〇円の供託を続けた期間も解除の意思表示までは二か月であつたことなどからすれば、この点も、同年一〇月までの間の控訴人の債務不履行が本件土地賃貸借契約の信頼関係を破壊するに足るものではないとの前記判断を左右するものではない。

(五) したがつて、泰夏が昭和五八年一〇月にした前記契約解除の意思表示はその効力を生じないというべきである。

4  信頼関係破壊による無催告解除について

(一) 控訴人が泰夏あるいは被控訴人らに対し、昭和五八年七月以降昭和六三年六月まで、本件土地の地代として一か月六〇〇円の地代の供託を続けたこと、これに対し、被控訴人干場ら三名が、平成三年一一月一五日の原審口頭弁論期日において、このような低廉な賃料額の供託によつて、本件土地賃貸借契約の信頼関係は既に破壊されているとして、右契約解除の意思表示をしたことは前記のとおりである。

(二) そこで、右賃貸借契約解除の効力について検討するに、前記昭和五八年一〇月の内容証明郵便は、過去の賃料の催告については効力を生じないものであつても、その時点以降の賃料増額を請求する意思表示としては有効なものと解することができる。

もつとも、賃料増額請求があつた場合においても、協議が調わない場合には借地人は、増額の裁判が確定するまでは、借地法一二条二項に基づき、「相当ト認ムル」地代を払えば足りるものであるところ、右「相当ト認ムル」地代とは、必ずしも客観的な適正賃料額ではなく、借地人が主観的に相当と認めるものであればよいと解されるが、少なくとも従前の賃料額より低廉なものであつてならないことはいうまでもないし、借地人が固定資産税その他当該賃借土地に係る公租公課の額を知りながら、これを下回る額を支払い又は供託しているような場合には、その額は著しく不相当であつても、もはや、これをもつて債務の本旨に従つた履行ということはできないと考えられる。

(三) ところで、本件では、前記のように、本件借地全体の賃料が定められた昭和三七年以降、本件土地その他本件借地内の各土地について、個別の借地の地代が定められないまま全体の土地についての供託が続いてきたとの特殊事情があり、本件土地について、その従前の賃料額がいくらであるかは必ずしもこれを算定しがたいが、昭和三七年当時の本件借地全体の賃料額を基準に面積比で本件土地の従前の月額賃料を算定すると、一か月当たり一〇九六円となること、また、控訴人は、岩田から泰夏らに本件土地の所有権移転登記がされた昭和五三年一一月以降、昭和五八年六月までは、本件土地以外の本件借地の分と一括して、金山英一らの名義で供託を続けてきたものであるところ、同様の方法で、その間の本件土地の月額賃料を算定すると、昭和四八、四九年当時は二九二三円であり、昭和五七年一〇月当時は六五〇四円であつたことは前記のとおりであり、本件では、このような供託額をもつて従前の賃料額と一応考えることができる。もつとも、本件土地は、直接公道に接しておらず、公道に面した別紙図面のF及びG部分よりは、相当賃料額は下がると思われるが、他のAないしD部分とはほぼ同様な条件にあるのであるから、全体としてみた場合、本件土地部分の賃料額は、右基準額と大差のない範囲内にあると考えられる。

(四) 控訴人が、このような本件土地の従前の推定地代額について、どこまで正確な認識があつたかは不明であるが、一か月六〇〇円という金額は、昭和三七年当時の本件土地の推定賃料と比較しても半分近い金額であるうえ、右のような昭和五七年当時の推定賃料と比べれば約一〇分の一の金額なのであるから、少なくとも右従前の供託金額から推定される本件土地の従前の賃料を大幅に下回ることは控訴人においても明らかに認識していたと思われること、また、右金額は、昭和六一年当時の本件土地に係る固定資産税等の公租公課の年額三万七六一〇円と比較してもその五分の一以下であること、なお、控訴人は、昭和六三年七月分からは地代の額を一気に一〇倍の六〇〇〇円に増額しているが、これは控訴人においても従前の供託地代額があまりに低いと判断したからであると思われること等からすれば、右六〇〇円という月額地代は、控訴人が主観的に認めていた相当賃料をも下回つていたと認めるのが相当であるし、右のような公租公課との対比からしても、それは著しく不相当な地代額であり、これをもつて債務の本旨に従つた履行ということはできないと考えられる。

(五) 右のような低廉な賃料の支払いが、増額請求のされた昭和五八年一一月以降昭和六三年六月分まで四年半以上も続いていることからすれば、右のような賃料不払いは、賃貸借契約上の信頼関係を著しく破壊するものであることは明らかであり、被控訴人らは無催告で右契約を解除しうるものというべきであるから、前記契約解除の意思表示は有効であるといわなければならない。

(六) 控訴人が右のように極端に低廉な地代の供託を続けたのは、控訴人らが岩田との和解で本件借地上の建物につき一二〇万円を払つてその改築等の承諾を得たにもかかわらず、泰夏らが本件一建物の改築に応じようとしないばかりか、本件一建物の賃料についての値上げ交渉にも応ぜず、その賃料は昭和五三年以降、一か月一万六〇〇〇円のまま供託されていることに対する報復的な感情等に基づくものと認められるが、右のような泰夏らの行為が借家人として著しく信義則に反するとか、権利の濫用であるとはいえないし、家賃については賃料増額の裁判等によつて適正な家賃に改定することも可能なのであるから、そのような手段を尽くさないまま、自己の判断で一方的に公租公課の五分の一にも満たない極めて低廉な賃料額の供託を続けることが許されないことはいうまでもない。

したがつて、右のような経緯を考慮しても、前記六〇〇円の供託が債務不履行を構成しないとか、賃貸借契約上の信頼関係を損なわないというのは困難であるし、その他、前記認定のような本件紛争の一連の経緯等を考慮しても、本件の建物収去、土地明渡の請求が信義則違反であるとか、権利の濫用に当たるということもできない。

5  したがつて、本件土地賃貸借契約は、平成三年一一月一五日の経過をもつて終了したというべきであり、控訴人は、本件土地上の本件一建物を収去して本件土地を明渡す義務があるところ、前記認定のところからすれば、本件増築部分たる本件二建物は、その構造、広さ、経済的利用価値、本件一建物との利用関係等からみて、一般社会通念及び取引上、独立した建物とみられるものではなく、むしろ、本件一建物に付随し、その一部を構成する増築部分であると認めるのが相当であり、附合の法理によりその増築と同時に本件一建物の一部を組成し、その所有権は、右建物の当時の所有者たる控訴人に帰属したといわなければならないから、結局、控訴人は、別紙物件目録四記載の建物(本件一建物に二建物が附合して一体となつたもの)を収去して本件土地を明渡す義務がある。

なお、弁論の全趣旨によれば、本件一建物は、柱、桁、屋根等の一部に相当腐食箇所のあることが認められるものの、独立に屋根を支えて地上に存在しているものであり、被控訴人干場らが特に不自由なくそこに居住している建物であつて、未だ朽廃しているとはいえないから、本件一建物が老朽化している点も右附合の判断に影響を及ぼすものではない。また、本件判決が確定すれば、本件一建物は存立の余地なく収去を免れないものではあるが、その原因となつた賃貸借契約解除は右附合の生じたのちの出来事であり、この点も右附合についての判断を左右するものではない。

6  本件土地の前同日以降の賃料相当損害金が少なくとも一か月一万円以上であることは、弁論の全趣旨から明らかである。

7  前記のように、本件二建物の附合が認められる以上、甲事件についての被控訴人らの主位的請求は理由がなく、また、予備的請求は、別紙物件目録四記載の建物の収去と本件土地の明渡及び平成三年一一月一六日以降右明渡ずみまで一か月金一万円の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。

三  乙事件についての判断

1  前記認定事実によれば、本件建物賃貸借契約においては、賃借人は、増改築等原状を変更する工事をするときは、予め賃貸人の書面による承諾を得なければならない旨規定されているにもかかわらず、泰夏は控訴人から承諾を得ないまま、本件二建物(前記のように増築部分であり、かつ、建築と同時に本件一建物に附合しているが、なお本件二建物という。)の増築工事に着工していること、右増築部分は、その面積、増築内容等からして、本格的な建築工事であり、その撤去は必ずしも容易ではないこと等からすれば、右増築をするについては、前記のような田山弁護士のアドバイスがあつたとみられることなどを考慮しても、右増築は本件建物賃貸借契約上の信頼関係を破壊する重大な債務不履行に当たるというべきであり、控訴人は、無催告で、右契約を解除しうるというべきである。

被控訴人らは、本件一建物は、昭和六一年当時著しく老朽化して危険な状態であつたのに、控訴人はこれを修理しないばかりか、被控訴人らが修理することをも拒否し、さらに羽目板を壊すなど朽廃状態を進行させようとしたため、やむなく控訴人の承諾を得ないまま、本件二建物の建築工事に着工したものである旨主張するが、本件一建物が昭和六一年当時、著しく老朽化して危険な状態であり、朽廃あるいはそれに近い状態であつたとは必ずしも認めがたいし、控訴人が右のような羽目板を壊すなどの行為に出たことを的確に認めるに足る証拠もないから、右主張は理由がない。

2  控訴人が、昭和六二年七月一四日被控訴人らに送達された乙事件の訴状で、被控訴人らに対し、本件建物賃貸借契約を解除する旨の意思表示をしたことは前記のとおりであるところ、別紙物件目録四記載の建物(前記のように本件二建物は本件一建物に附合している。)の賃料相当損害金の額を適切に認めるに足る証拠はないが、前記認定のような右建物の広さ、位置、構造等、種々の事情に昭和五三年以降の賃料供託額が一万六〇〇〇円であることなどからすれば、少なくともその昭和六二年七月一四日以降の賃料相当額は四万円以上であると認めるのが相当である。

3  したがつて、乙事件についての控訴人の請求は、被控訴人らに対し、別紙物件目録四記載の建物の明渡と、これに対する昭和六二年七月一五日以降明渡ずみまで、一か月金四万円の割合による金員の支払を求める限度で理由がある。

三  よつて、これと異なる原判決を変更し、甲事件についての被控訴人干場ら三名の予備的請求及び乙事件についての控訴人の請求を主文の限度で認容することとして主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高橋欣一 裁判官 矢崎秀一 裁判官 及川憲夫)

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